プロフィール写真と実物が違いすぎる件について
デジタルの光で織りなす現代の縁結び。その入り口に鎮座するのが、我々の分身とも言える「プロフィール写真」だ。誰もがフォトグラファー兼アートディレクターとなり、スマホのアルバムという名の膨大な候補の中から、最高の自分、いや、もはや「理想の自分」を一枚選び出す。それは時に、光と角度を味方につけた「奇跡の一枚」であり、未来の出会いへの希望を託した、切実な願いの結晶でもある。
しかし、その奇跡が時として悲喜劇の引き金になることを、我々はまだ知らない。
エピソード1:角度の魔術師と光の錬金術師
「はじめまして、ユウキです」。
待ち合わせのカフェに現れた彼は、爽やかな笑顔をこちらに向けた。間違いない、あのプロフィール写真の彼だ。少しシャープな顎のライン、夕日を浴びて彫りが深く見える横顔。完璧だ。私は心の中でガッツポーズをした。私の「奇跡の一枚」も、どうやら彼に素敵な幻想を抱かせることに成功したらしい。
「ミサです。よろしくお願いします」。
席に着き、メニューを開く。しかし、正面から彼をまじまじと見ると、ある違和感に気づく。あのシャープな顎のラインは、絶妙な「斜め45度」という魔法の角度によって生み出された芸術作品だったようだ。正面から見た彼は、写真よりもずっと優しく、親しみやすい丸みを帯びている。
「ミサさんって、写真より笑った顔が素敵ですね」。
不意打ちの褒め言葉に、私はコーヒーを噴き出しそうになった。それは、暗に「写真はあまり笑っていなかった(というか真顔でキメていた)」そして「実物はなんか違う」ということを、最大限にオブラートに包んだ表現ではないか。
「ユウキさんこそ、写真よりも話しやすい雰囲気で…」。
私も負けじと返す。彼のプロフィール写真は、友人の結婚式で撮られたというキメキメの一枚。背景のシャンデリアが彼の輪郭を照らし、まるで映画俳優のような陰影を創り出していた。いわば彼は「光の錬金術師」だったのだ。
お互い、スマホの画面に映る「理想の相手」に会いに来たはずが、目の前にいるのは、少しだけ(いや、正直に言うと結構)違う、生身の人間。その事実に気づいた瞬間、どちらからともなく、ふっと笑いがこぼれた。
「正直に言っていいですか?」と彼が切り出す。
「はい、どうぞ」と私も覚悟を決める。
「今日のミサさんに会えて、よかったです」。
予想外の言葉だった。彼は続ける。「写真はすごく綺麗で、正直ちょっと緊張してたんです。でも、今こうして話してると、すごく楽しくて」。
私も全く同じ気持ちだった。彼の「奇跡の一枚」に惹かれたのは事実だ。でも、彼の少し気の抜けた、優しい笑顔の方が、何倍も魅力的だと感じていた。
結局、我々は「盛りすぎたプロフィール写真」あるあるで2時間も盛り上がってしまった。彼は自撮り棒を駆使して何度も撮り直した武勇伝を語り、私は美肌加工アプリの限界に挑戦した日のことを白状した。お互いの見栄と努力を笑い飛ばすうちに、画面越しの「いいね」では決して生まれなかったであろう、不思議な親近感が芽生えていた。
奇跡の一枚に何を託すのか
誰だって、少しでも良く見られたい。素敵な出会いを掴むために、ほんの少しだけ背伸びをしたい。プロフィール写真は、そのための小さな魔法だ。しかし、魔法はいずれ解ける。
大事なのは、魔法が解けた後に、目の前にいる相手に幻滅するか、それとも新しい魅力を発見できるか、なのかもしれない。
「奇跡の一枚」は、あくまで出会いのきっかけをくれる招待状だ。その扉を開けた先に待っているのが、写真とは違う「最高の一枚」の笑顔である可能性は、いつだってゼロじゃない。
だから、もしあなたが待ち合わせ場所で「あれ…?」と思っても、すぐに踵を返さないでほしい。もしかしたら相手も、あなたの「奇跡の一枚」に少し戸惑いながら、それでもあなたの本当の笑顔を探しているのかもしれないのだから。